2022/6/21

4、5月はヒューマントラストシネマ渋谷に通った。なぜなら、ジャック・リヴェット映画祭と愛しのシャンタル・アケルマン映画祭が開催されていたから!こんな頻度で渋谷に行くことはもうないと思う。連日満席に近く、ちょっとおかしかった。リヴェットよりアケルマンのほうが女性客が多いけど、リヴェットも女性が観たら絶対に面白いと思う。シスターフッド的なエナジーが感じられる作品が多いから、元気が出る。リヴェットの映画はどれも遠くにあって心地よい。観るということだけができる。スクリーンの中で人が生きていて、我々は蚊帳の外というような感じ。キャラクターが魅力的すぎるからなのか。『セリーヌとジュリーは船で行く』は特に、衣装とロケーションが最高。彼女たちが叫んだり微笑み合う幸せ!観客は暗闇のなかで置いてけぼりなのがいい。『ノロワ』については、有休をめいっぱい使いたくて滝沢歌舞伎の前に観てしまったのが間違いだったけど、寝落ちしている人を起こすような、息を止めるような印象的なショットがあった。

アケルマンは傑作しかないらしい。主観ショットをほとんど排除したスクリーン上の彼女たちを見つめるうちにどうしても自分を見つめることになってしまい、"私には私にしかわからないことがある"という孤独がやってきて、恐ろしさとともにホッとする。『私、君、彼、彼女』のなかで、アケルマン演じる主人公が代名詞の人々に接近すればするほど彼女自身の内側に還ってくるという関係性が、スクリーンに映る、とても私的に思える主人公の視線を第三者としてしか見られない観客との距離に反映されている。これを見た職場のひとは、ラストシーンをプロレスと言っていたけど、確かにそんな感じ。ひとつになれないと分かっているもの同士の、真剣な取っ組み合いがロマンチック。試合後には静かに部屋に帰って行くのが象徴的で、さすがアケルマン!

『ジャンヌ・ディエルマン』撮影時、アケルマンは24歳(今の私とほぼ同い年)。本当に信じられない。日々粛々と多くの役割をこなし日銭を稼ぐ中年女性の日常は、異様に大きい生活音や印象的な沈黙と長回し(ちょっと記憶が曖昧)によって、ただの日常ではなく生き様であり、さらに言えばアケルマン自身の人生論として示される。時間の操作が本当にうまいなと思う。4時間ずっと「ああこれはただごとではないな」と思わせ続けられるのもすごい。

『アンナの出会い』は、カラダが物理的に運ばれていくような感覚があって不思議だった。どこから来てどこへ行くのか、何をしてどうなれば満たされるのか、わからないまま死ぬのだと思う。いずれ死ぬのだから、生きている間は常に移動し続けるしかないのかな。アンナをこの世に引き止めるものはなんだろう。母親との再会のシーンがとても感動的。アケルマンお得意の(だと勝手に思っている)横並びの食事シーンもあって嬉しい。横並びの方が同じ景色が見えて良いなというのは、『セリーヌとジュリーは船で行く』の2人を見ても思った。切り返す必要がないという利点もあるのかな。「ぼちぼち銀河」を聴くとなぜか、2人一緒に魔法の飴を舐めると、そこには無い同じ情景が目を開けた状態で見えるという描写が思い浮かぶ。

あとは『ユリイカ』を観に行ったり、試写でホン・サンスの新作2本を観たりした。今更ながら『気狂いピエロ』を観て、自認してる以上にゴダールの映画が好きだと知った。面白すぎる。ワクチン3回目接種の翌日、熱と悪寒でぼーっとしながら観た『ベニスに死す』もよかった。明らかに時間の流れが違った。最近はあんまり観れてないけど、やはり映画に感謝。