2024.2.26

3連休に大阪、京都に行って本当に楽しかった。何回でも行きたいと思った。なにがというわけでもないけど安心した。安心と嬉しいは近いと思う。今更『ツイン・ピークス』を観てて、デヴィッド・リンチは別に好きじゃないと思ってたけどめっちゃ面白いし90年代アメリカの田舎で箱庭的な世界観が本当に好き。時間が無限にあったら何回も観たい、ずっと布団のなかで観ていたい。カイル・マクラクランがかわいい。90年代に高校生とかだったら完全に陶酔してたと思う。FBI捜査官なのに、夢で見たという幻だけを根拠に捜査を進めたり周りもそれに反発したりしないのがすごいし、それでもサスペンスドラマとしても面白いのが不思議。こういう世界にずっといたい。『ノスタルジア』のリマスターもよかった。感動的なイメージの連続で贅沢な時間がずっと続いている感じ。色々なものが平等にただ存在していて、あるひとつの真理に向かっているような感じ。そういうものに囲まれて暮らしたい。テイラー・スイフトのドーム公演もすごかった。タイに行ったときに久々に嗅いだヴィクシーの香水とかメイベリンのBABY LIPみたいな香りがうっすら全体に漂ってて温かい気持ちになった。ツアー動員数ギネス記録とかだしてるテイラーに、“I'd be the man"とか言われたら泣いてしまう。こちら側に立ってくれていることが、そういう見せ方をしているということなのかもしれないけどそれでも泣ける。最近観た映画とかドラマとか、老いの実感があるかないかで全然感じ方が違うんだろうなと思うものが多い。ただ老いることはめっちゃ怖い。楽しめる自信が無い。

2024.1.21

『PERFECT DAYS』観た。そもそも平山はあえてトイレの清掃員という職に就きミニマムな暮らしを選んでいるという設定で合ってるんだろうか(あの清潔感、何千円もするフィルムカメラの現像、めちゃ安そうというわけでもない行きつけの飲み屋、非日常的な紫のライト、高級車で姪っ子の迎えにくる妹)。姪っ子の名前はニコだし再会の様子からしてもあの兄妹は仲が良かっただろう。他の人の感想を読んでないからわからないけど、今は老人ホームで暮らす恐らくかつて厳格であっただろう父親がいて彼らとは生活や暮らしへの向き合いが合わなかったから裕福な家を出てあえて今の暮らしにたどり着いたという感じなのかな。制作背景がかなり微妙で冷めるけど単純にヴェンダースの目に映る日本が観られるのはよかった。というかどうしても近所ポイントが加算されてしまう。ヴェルヴェッツが流れる中うちのアパートが一瞬映ってあがった。出勤があんなに美しいはずがない。相変わらず中年(老年)男性の物語なのに、度々訪れるドライブのシーンを待っちゃうしやっぱり良い。お金に困っていなければ、死期が近ければ世界をあんな風に見られるのかもしれないと思うとずるい。あの肌ツヤで学があり無口だけど小粋なひとり暮らしの老年トイレ清掃員というファンタジー。あの優しい感じ既視感あるけど思い出せない。ユロー伯父さん的なコミカルさとも違う。2000年以降のヴェンダースの映画観たことないからわかんないけどこれはちょっと牧歌的すぎてウザさすらある。安全と言われてる日本でもさすがに家の鍵は閉めます。

2024.1.9・・・リハビリ1

リハビリ1

 

いちど頭で想像したことは
その通りにならないのはなぜだろう
転んでしまうでこぼこ道しか用意されていなくても
歩かなくてはいけないのはなぜだろう
それでも欲しいものばかり

手を伸ばし前につんのめる人が
また顎に傷を増やした
手を伸ばし同時に足を伸ばした人は
バランスを保ったままそこに佇み
しばらくすると優しく手を引き先に連れ出す者が現れる
どちらにも等しく欲しいものがある
どうしても欲しいものがあるというのに

捉えられるのはただ

輪郭という境界 
あること いること そんなユートピア(≒ディストピア

世界がもっとシンプルだったら
真っ先に淘汰されるような私だ

2023.12.31

今年劇場で観てよかった映画

新作『フェイブルマンズ』『TAR/ター』(☆)『バービー』『アステロイド・シティ』

旧作『月の寵児たち』『News from home』『ゴダールの決別』『マリア・ブラウンの結婚』『雨に濡れた舗道』

なんかほんとにそうだっけという感じだ。年始にアケルマン論を書くと言ってたけど全然できなかった。途中であんまり興味が無くなった。家ではなぜかドゥニ・ヴィルヌーヴブニュエルの映画をよく観た。ひとりの作家を追う中で美学を見出せると嬉しい。久しぶりに観ない方がよかったと思う映画もあった。2023年は実質2022年の焼増しに近かった。今年の秋冬はSZAの『SOS』を聴きまくってる。12月はこれに本当に支えられた。音楽が今でも自分の支えになってることが嬉しい。これに出会えたことは今年のハイライト。人生で1枚選べと言われたら迷いなく『SOS』と答えられるくらい一生聴き続けたいアルバム。私もあの海に飛び込んで沈んだり浮かんだりしたい。全てがとっ散らかったままあっという間に1年経った。3月にArctic Monkeysのライブに行って、10年越しに私の中のナンバーワン大スターを目の前にしてそれがピークだったかも。めっちゃくちゃかっこよくて同じ時代を生きてることにありがとうだった。Alex Turnerの新作を待てる世界にいられることはめちゃくちゃ希望。私が普段触れてる嫌なことからは全く遠くで生きてる人がいてその人が作ったものを享受できる嬉しさをライブ観たことで実感できた。本当にいるんだというやつ。2024年はSZAがみたい。もうすぐ25歳になるし仮でいいから生きる目的を設定しないと。働いてると要らない落ち込みとか要らない傷付きがただでさえ発生してるのに、今年は自分自身のダブルスタンダードに呆れてさらに落ち込むみたいなことも多かったから、それは知識を獲得し続けることで改善したい。知ることで生きづらくなることは多いけど、その生きづらさを簡単に越えるような思考や知識を体得することが目標。あと私は来年も映画を観続けたいから、やっぱり映画の現場で何が起きているのか知りたい。

2023/11/19

「パルコを広告する」 1969 - 2023 PARCO広告展 おもしろかったから覚えてるうちに軽メモ 80年代の広告がものすごく異質で印象に残った。己の解釈を問う「知のゲーム」として洗練された時代らしい。80年代だけが男性ターゲットのようで、昭和のサラリーマン的なかっこいい男の世界観を提示しつついろいろな解釈の余地をもたせる難解なコピーとビジュアルで、「広告」がこんなに自由であることはもうないだろうなと思った。70年代は女性が自分のためにモノを買ってオシャレをする楽しみを提示していてそれも当時は事件だったとあったけど、80年代で大きく方向転換されたのはやっぱり十分な経済力があって自分のために自由にお金を使える女性消費者のパイが少なかったということなのかな。90年代、00年代と時が進むにつれてどんどん文字量が多くなる。「SPECIAL IN YOU.」以降は特に解釈の余地を与えない、誰にとってもそう受け取れるような明確なメッセージが書かれてる。そうでないと伝わらない時代であり、伝わらない広告は悪い広告であるという価値観。わかりにくい広告はまずありえず、漠然とした憧れを抱かせるようなものはむしろ大衆からは敬遠されるような時代。歴代CMを一気に見れるのもおもしろかった。00年代以降映画「少年メリケンサック」や「デトロイト・メタル・シティ」みたいな作品とのタイアップCMが作られるようになって、それまでみたいな海外ロケと比べると明らかに予算が少なそうで寂しい。しかもはっきりと私の記憶にあるパルコのCMはその辺りからだ。(静岡にパルコができたのは2007年)。そこへの言及はなかったけど、パルコアラの登場はそれまでの「親しみのない」かっこよさや憧れから「親しみやすさ」で大衆を惹きつけるように転換させる決定打だったと思う。2007-2010年の3年間で静岡、浦和、仙台、福岡と続々と地方に建てられたことがかなり関係していそう。当たり前だけど消費の目的や動機は時代によって全然異なるということが、超一流のかっこいいビジュアルで見渡せるとても楽しい展示。MILKFED.はソフィア・コッポラが映画を撮り始める前に立ち上げたブランドということも全く知らなかった。関係ないが「ロスト・イン・トランスレーション」的なノリをハイハイと思いつつ憧れから逃れられないのは悔しい。今回の企画展、今20代の人はきっと当時への憧れや羨ましさでいっぱいになると思う。20年代でそれに匹敵するようなものってなんだろう。あといつからイケてるもの≒金にならないものになったんだろうか。そもそもTwitterのオシャレで人気な人はパルコじゃなくてみんな新宿伊勢丹で買い物してる。今日は日曜でルミネはめちゃ混みなのにパルコは空いてるというのも切なく、実際自分が物を買ったのもルミネだった。

2023/9/22

9/15-18で旅行に行って3日目に広島の「シネマ尾道」で『ローマの休日』の4Kリマスター版を観た。はじめて旅行中に地方の映画館で映画を観た。『ローマの休日』も初見。天井が高くてスクリーンの前にピアノが常設されててすごかった。スクリーンもかなり高い位置にあった。老夫婦数組と、中学生くらいの子どもの3人家族がいた。『ローマの休日』、常にありえない照明の当たり方してるし顔があまりにも可愛いし4Kなのもあってかずっと紙芝居みたいな、何とも接続されてない世界という感じでぺらぺらしてて面白かった。オードリーがあんなにぎゃーぎゃー騒ぐ役だとは知らなかった。たぶん帰り際、支配人の清順さん(由来はもちろん鈴木清順というすごい名付けられ方)がいた。『オオカミの家』のポスターも貼ってあった。今回の旅行は予備パジャマとして会社でもらったオオカミの家Tシャツを持っていった。尾道に行く前の日、ホテルで『東京物語』を途中まで見た。今までなぜか途中までしか見たことなくて今回も途中までしか見れなかった。小津久しぶりに見ると面白すぎて感動する。本当にめっちゃくちゃ面白い。ふつうに面白くてみんな見やすいから人気なんだなと思う。尾道は1回行ったことあったけど前回とは印象が全然違くて、なんか海が狭く見えたし人が住んでる感じがした。街もコンパクトで、観光地とはいえそんなせまい街にいくつも本屋があって映画館があるというのはすごいことだと思った。同じ港町でもカルチャーのない町(静岡県自体がわりとそう)に育ってしまったから羨ましい。地元がロケ地になった映画とかも聞いたことがない。

昨日はいつもより早めに帰れたから上司がイ・チャンドン特集上映で久しぶりにみてもうそれのことしか考えられなくなったと言ってた『ペパーミント・キャンディー』を観た。ランチから帰るときに、「午後もペパーミントキャンディーについて考えるか…」と言ってた。めっちゃよかった。2000年前後韓国映画がすごいすごいと言われ始めた頃の作品もっと観たい。光州事件で目撃したこと、つまり韓国の兵役制度が花をカメラにおさめることが夢だった男の人生を狂わせて壊したのであって、途中まではこの男の暴力性は個人に由来するものだから「俺の人生を台無しにしたやつ」は俺自信だろと思ってたけどそうではなく、国の制度によって目撃させられたことがひとりの人生、そのひとりにとって世界のすべてを変えてしまうという悲しさ。それでも良くも悪くも時間は巻き戻せないということ、そして台無しな人生なんてないということが時間を簡単に操れる映画によって、しかも回想のかたちで示されるのがめっちゃすごい。15年ぶりくらいに再会した、病で死ぬ直前の初恋相手から受け取ったカメラのフィルムを広げて号泣するシーンのアングルと空の色が完璧だった。(産まれてからずっと不景気というのもあるけど)戻りたい過去がないというのは幸せなことなのか。なんか本当に時間は前にしか進めなくてよかったなと思う。ロケーションとか家の感じもめっちゃよくて『ペパーミント・キャンディー聖地巡礼したい。

少し前に観た『aftersun』も回想映画だった。けどどっちも一人称じゃなくて誰が何をしたか、そこに何があったかだけが示されていくタイプの作品でそれがよかったし死の先を想像させるような広がりとか豊かさがあって感動した。死生観のパターンが1こ増えた。

『HEART STOPPER』シーズン2第5話が泣けた。これができたら本当にいいだろうなと思った。摂食障害のチャーリーがその理由として「食事だけは自分でコントロールできるものだから」と吐露するシーンがあってなるほどなと思った。何も思い通りにいかない世界で唯一今すぐに簡単に制限できるものはたしかに食事かもしれない。過去に支配的な態度をとってチャーリーを傷つけた元彼に対して、決して許さず徹底して厳しい態度を取り続けてるのは偉いことだ。なんとなくヨーロッパ的な感じがする。アメリカのドラマだったら反省してる様子のそいつは何かしらで許されてると思う。でもだとしたらそいつは(大抵の人間が元彼側だと思う)一度した誤ちに向き合い続けながら生きることになる、辛い人生だ。大人が見るには少し辛いドラマ。

2023/9/3

忘れないうちに感想。『アステロイド・シティ』初日には行けず、公開2日目に日比谷に観に行った。思っていたよりかかっている映画館が少ない。最初に公開された海外版トレイラーのみの前情報だったのもあって、設定も進行もかなりわかりにくく他の作品に比べて難解。でもめちゃくちゃ繊細でよかった。それぞれのキャラクターの意味や目的もあってないようなものだから見にくいけどそれこそがはみ出しものの肯定になるような優しい映画。「タイミングは(いつだって)悪いものだ」「眠らなければ目は覚めない」みたいな示唆的なセリフを一生懸命拾いに行くけど平面的で圧倒的にかわいい画や俳優たちの顔、いちいち緻密なショットを観てるだけで満足させてしまう唯一無二の力。理解力が乏しいせいでチャプターがどの層のことを指しているかもあんまりわからず、もはや面白くはなかったけどみんなで同じものを見上げたり、子どもが何かに熱中してたり、孤独な大人たちが会話を試みたりそういう希望や切なさが心に残る。勢いもドラマ性もないから人気作にはならなそうだけどどうなんだろう。途中演技論みたいなのもあったけどウェスの映画でそれをやるのはギャグ的な感じなのか、あの箱庭でさらに観客を混乱させるためか、キャラクターの悩みというただピュアなテーマとしてなのか、よくわからない。ただ考えれば考えるほど良い映画だったような気がしてくる、魔法だ。。

渋谷のヒュートラで『ママと娼婦』を観た。ユスターシュは中央図書館で半分寝ながらしかみたことがなかったから映画館で観れて嬉しい。220分、内容的にも途中退室ありえるかと思って観に行ったけど誰ひとり抜ける人がいなくてそれもおかしいだろと思った。移動撮影がないからとにかく風通しが悪く、時間が進むにつれ死の気配が濃くなってきて気分としては劇場内に徐々に一酸化炭素が充満してくような息苦しさ。人中心のショットが多かった印象だけどレオが好きだからぜんぜん観れる。アレクサンドルがシャンソンを歌うところとかは最高。空っぽが故に2人の女の間でどんどん疲弊していく様子もいい。途中それぞれ1箇所だけ、正面から捉えられたアレクサンドルや「娼婦」たちが涙ながらに語る言葉も空虚で、時代差なのかわからないけど響くところが全くない。「ママ」が部屋でひとりでレコードを聴いて頭を項垂れてる姿はさすがにかわいそうだった。

『バービー』も公開2日目に観た。グレタ・ガーヴィグは本当に良い仕事をしてる、ありがとう。これを全世界の子どもたちが楽しく観てほしいと本当に思う。ただ現実はまじの本当にずーっと“kendom”。これがメジャー映画であることが重要で、あなたたちがわかるよう、相当チューニングあわせて作ってくれてるのにそれがわからないということが恐ろしい。女は男の為に存在しているのではないということがそんなに嫌か。『リトル・マーメイド』やマリオにあった親子の力関係も否定されていてよかった!産まれた時点で孤独だけどそれは自由でもあり、何からも支配されてはいけないということ、またそれとは別に愛は存在できるということがちゃんと描かれてた。サントラも良い。バービーやケンに性器がついてないことについて触れた北村紗衣のバービー評が面白かった。車が宙に浮いて回転するようなチープなCGとか冒頭で『2001年宇宙の旅』をなぞったりしてる感じはグレタ・ガーヴィグの若干寒いギャグと思えばむしろそれはそれで良い。“見られること”を意識しないでいられる安心安全なバービーランドに産まれてたら何もかもが違っただろうなとか考えてしまった。もっと年齢が上だったら、老いや死についてフォーカスして観ることもできたかもしれない。

追記

『アステロイド・シティ』、ユーモアのセンスがこれまでと比べて皮肉というよりダウナーになっててよかった。