2023/8/10

少し前にHINDSのうち2人が脱退するとインスタで見て久しぶりに聴いたら懐かしかったけどその当時(2018年くらい)の自分とは何かが決定的に違った。徐々に変化したこともあるけど180度変わってしまったようなことが何かあるとしか思えない感じだった。その日の朝Twitter三宅唱の『エドワード・ヤンの恋愛時代』リマスター版の公開によせたコメントをみてそれがめちゃくちゃよかった。「不幸な時間も幸福な時間もとりかえしがつかない。」三宅唱の映画はあまり好きじゃなくて、他の嫌いな映画についてはそう思わないけど、三宅唱の作品にノレないことについては自分がすごい嫌なやつな気がするというか悪い意味で現代的ではないというかとにかく悲しい事実のひとつ。

『VIVANT』第3話途中までみた。第1話のアンチ・ヒーロー的な阿部寛のビジュアルはまちがいなくドル箱三部作のイーストウッドとか『野獣暁に死す』のモンゴメリー・フォードのマネだ。上のほうに西部劇好きのおじいさんがいる。でもこういう感想とか発見はすべて“考察”に回収されてくしこれも既に散々言われてるかもしれない。一度この思考になると他の楽しみを見落とす。“考察”は辻褄をあわせ、因果探しのただの作業だからこれが流行ってることは全然よくない。続きは気になるから観るかな。

春夏は観たい映画の特集が多くて嬉しい。ゴダール中期の作品は好きじゃないと思ってたけどこの前松竹で見たらよかった。『ゴダールの決別』本当によかった。箱庭と現実世界の境界線ぎりぎりですべてが行われている感じ。あらすじが意味をなさず、その意味のわからなさがゴダール的なのではなくてそれはもっと全体的なことで単純にあの湖の感じとか時間の流れとか滑稽さとかなんだろう。『カラビニエ』はとにかく虚しい。何十発もの銃声、戦争でなんでも手に入ると言って持ち帰った大量の絵葉書、これからなんでもできるとでも思っていそうな無邪気な若い男女のクローズアップ。

先週、場所が変わってからはじめてBunkamuraに行った。ビックカメラの上ということからも想像はしてたけど当然照明と売店だけではどうにもならずあのBunkamuraの感じはない。パンフレットやフライヤーが立てかけてある棚を眺めてたら視界がゆがんできてついに暑さにやられたかと思ったら棚の方がゆっくり回転してた。『マリア・ブラウンの結婚』すごくよかった!今後の指針にしたい!ファスビンダーの美的センスや描く題材はあざとさゼロで好き。ラストのカウントダウンがめっちゃかっこいい。数年おきに見返すべき人生映画。植物や窓越しのショット、ピントの合い方が完璧すぎてどうなってるのかわからない。花瓶に花と間違えてバッグを入れてひとりごとを呟くところとか、旦那が海外から帰ってきたときの慌てて着替える感じとかあの笑い方とか仕草行動すべて、マリアというひとりの人間への説得力がすごい。何かに逃げることなくまっすぐ描いてくれてありがとう。また観ます。

 

2023/7/11

昨日は3つで力尽きたけど『街をぶっとばせ』と『アメリカン・ストーリーズ』と『ノー・ホーム・ムーヴィー』も観た。ただところどころ寝ちゃったからあんまり覚えてない。家ではもっと集中力が続かなくて1本観きれない。なるべく映画館行くようにして新作を観てるけど、新作ってふつうにハズレの可能性も大きくて難しい。『TAR』はめっちゃ面白かった。名誉男性的なレズビアンってこれまであまり描かれてこなかった気がする。それ以上に複雑で何層にも重なって色んなことが起きてて一度じゃ拾いきれない。バッハは白人で女性差別的だから聞かないと言う学生と、その判断基準のみで排除していくと逆に単一化されていく、お前はSNSに侵されてると主張するターさんとの問答があって、たとえそこに実感が伴わなくても自分の拠り所とする絶対正しい主義とか思想を持たないと不安という学生のスタンスはよくわかる。楽団の若い女性がトイレに入ってくのを確認するシーンとか、ランニング中公園の森の中で絶叫する声が聞こえるところとか事件がとにかくたくさん起こってて、どっかでもう1回観たい。マリオとリトル・マーメイドの実写版も観てどちらも面白くて満足したけど共通して疑問なのは、父親の力から逃れられない描写はオッケーだということ。マリオは最終的に父親から認められてめっちゃ満足してたしアリエルは人間と交流すると父親に怒られて、結局人間になったのも父親の謎パワーのおかげ。やっぱファミリー向けの作品だからなのか…………。

2023/7/10

今年も4、5月にシャンタル・アケルマン特集をやってたから、去年やってなかった5本くらいをヒュートラとアンスティチュフランセでみた。今年はアケルマン論を書くぞと思って宣言したけど全然できそうにない。

『一晩中』 前にYouTubeでみて以来、映画館で観るのは初めて。待つ人主体の物語だけど緩慢な感じが全然無い。みんな焦ってて歩くスピードも速いし感情が常にピークに達していてよかった。よく考えると普段から落ち着いて待っている時間なんてなくて何かを待つ時は大抵それが来るのを今か今かと待ち構えてる状態。本当に訪れるかもわからないのに前のめりで待ちたい、今本当に望むものへの熱量の高さが熱帯夜とよくあってる。わかるわかるの連続。

『News from home』 離れて住む心配性の母から届く手紙を読み上げるアケルマンの声とニューヨークの風景が重なって、街を走る車と往来する人々、駅のホームに立つ人々がひたすらに映されてるだけなのに面白くて本当にすごい。ニューヨーク行ってみたい。ひたすら想われることのしんどさ、みたいなことを考えた。あとこんな実験的な映画を作ってみようというアケルマンの自信とか真剣さが伝わってかっこいい。これを表すにはこのやり方が最適だという確信みたいな。

『ゴールデンエイティーズ』 画が楽しいのはもちろん、キラーフレーズ連発でおもしろかった。「女の幸せは広告が作り出したもの」「負け顔できる人が大人の男」「無駄な愛なんてない 人生はすべてよくなっていく じゃなきゃ地球が滅亡する」とかうろ覚えだけど全部に対して「そうだよね泣」という気持ちで観てた。衣装もめっちゃかわいい。ただラスト以外全てセット撮影のミュージカルだから『囚われた女』とか『アンナの出会い』とかにあるああいう感動はない。人生における期待と恋と絶望がぎゅっとなってる。デルフィーヌ・セイリグさんの聖なる母感がすごい。ついていきたくなる気持ちわかる。

周りがどうとかじゃなく自分にとっての幸せとか心から望むものをわかってるのってすごい状態だと思う。それで心がボロボロになったり何か損したり果たせなかったりしたとしても、自分の望みがわからないよりはマシ。←これを常にリマインド……

2023/7/4

10日くらい前から日記をつけ始めた。本当にただ働いただけの日でもなにかしら思うことはあったと確認できる。活動時間のほとんどを労働に割いてるわりに情緒不安定で、生活を占める気持ちの量が自認してるより多いという気づき。熱で寝込んでいる人のために作ったヒーリングプレイリストに助けられてる。急ぎで作ったから変な選曲。前回の更新から観た中でよかった映画たくさんあったはずだから書きながら思い出したい。

2022/8/7

映画を観るとき全然集中できていなくて、人よりも内容を覚えていないということが最近わかった。今日はロミー・シュナイダー特集の『太陽が知っている』を観に行ったけど、所々寝てしまってそこが重要なシーンだったような気がする。ミシェル・ルグランのおかげで音楽がよかった。メインの4人が映画俳優顔すぎて、それ以上の印象や感想がない。明らかにおかしい日本的な置物や箸でお米を食べるシーンがあって、これが異化効果なのかもわからないけど、だとしたらアラン・ドロンロミー・シュナイダーのビジュアルだけで十分非日常的だと思った。

6月、アテネフランセでマルセル・アヌーンの『秋』と『夏』を観た。『秋』で、"Anne"それ自体の言葉の響きが甘いから、"Je t'aime Anne."と言ってしまうのは過剰だ(記憶が曖昧)という趣旨のセリフがあって面白かった。詩的なセリフ。「映画を観ることについて」がひとつ大きなテーマとしてあったから、今ここでスクリーンを見つめている観客について考えざるを得なかったけど、スクリーンの中では十分フィクショナルなドラマも起きていてハッとしたり。『夏』については、女好きだなーという印象。実験的な編集は、それ以前に『勝手にしやがれ』や『はなればなれに』が公開されていたと考えると、そう新しいものにも思えなかった。

ヴェンダースのBOXが発売になって、『ベルリン・天使の詩』と『さすらい』を観た。『ベルリン・天使の詩』の、ライブハウスのバーに女がやってくるところからの照明がすごい。男が女と結ばれたと感じる時、女の顔は見えなくて、やはり男の映画だった。『まわり道』も中年男性のロードムービーで、勝手にヴェンダースの人生論的なイメージで観た。映像が面白いので、退屈はしない。彼らが2つ目の宿に着いたところで、窓に映る人々とテレビ画面と部屋の中の少女がワンフレームに収まっていて、そういう複雑さとただ人が加わったり離脱したりするシンプルな関係が共存しているのが、ヴェンダースの良さかとなんとなく理解した。

トリュフォー特集から、『家庭』と『アデルの恋の物語』。どちらもトリュフォーの物語がとにかく嬉しい。アデルの狂った様子がシリアスというよりはコメディーに見えたり、宿舎のおばあちゃんみたいな、心配の気持ちでアデルを見てしまったりする感じは、トリュフォーの登場人物への愛情ゆえだと思う。

7月、公開2日目に『リコリス・ピザ』。HAIM好きとして結構前から楽しみにしてた。オープニング、アラナが外廊下をダルそうに歩いているところにゲイリーが合流して、デートの約束を取り付けるまでの長回しが輝きすぎて泣きそうになったけど、そこがピーク。随所にPTAの緻密さが見えて、とにかく雑な感じが一切無い。ただ、アラナの動きとフレームがシンクロする感じを楽しむなら、HAIMのMVで十分かもしれない。トラックのシーンとかはいい感じ。

同時期に話題になってた、というかTLでAIにおすすめされまくっていた『わたしは最悪』も観た。色々と中途半端な感じだった。「わたしは最悪」的な描写を、冒頭のタバコのシーンや夕日を見ながら泣くシーン、朝帰りのシーンで担保してるのだとしたら、画が弱い。その辺も喋らせればよかったと思う。矛盾を抱えながら生きていく的なテーマはグレタ・ガーヴィグがもっと魅力的な映像でやってくれるのでおっけー。

『WANDA』も絶賛されていたけど、悲しくなってしまいイマイチだった。1970年に公開されて、当時アメリカンニューシネマが盛り上がっていた時代だということを考えれば、めちゃくちゃすごいと思う。こんな女性の物語があるということだけですごい。けど、何もできなかったワンダ(何もできなくない)が銀行強盗に加担して、男に「やればできるじゃん」と言われて微笑む、みたいなのは、さすがに2022年だしどう見ればいいのかわからない。イメフォと自分の相性があんまり良くない気もする。

家で見たのでよかったのは、ヴィスコンティの『山猫』。冒頭から美しすぎて泣けた。鏡の中の健康的で輝かしいアラン・ドロンは、やがて額に汗を垂らし涙を流す初老男性に成り果てる。イタリア人の白っぽい汗、映画的でほんとに泣ける。かっこいい。

U-NEXTで大雨の日にジョン・カーペンター2本。『クリスティーン』はギルモア・ガールズの大事なシーンで引用されるからずっと観たくてようやく観た。めっちゃ面白い!気分とぴったり合って嬉しかった。いきすぎた嫉妬、情念も車が体現することでなんか可愛く思える。五社英雄的な女の情念はかっこよさとか悲しさに引っ張られていく感じがあるけど、クリスティーンは可愛い。『ゼイリブ』はまんま今の日本だった。なんなら環境に配慮しているフリ、ジェンダー平等に向かっているフリなどが乗っかっているから現代日本の方がよっぽど厄介。全員まともになったらあれくらい喧嘩して当然だろう。西海岸の風景が嬉しい。あのエイリアン(?)の見た目とか主題とかなんとなく坂本慎太郎的なものと重なる。

つい2ヶ月前に自分で書いた『アンナの出会い』についての感想に励まされた。そんなことがあるんだと思った。暗い気持ちではなくて日々どっちでも無さすぎる。

 

 

 

2022/6/21

4、5月はヒューマントラストシネマ渋谷に通った。なぜなら、ジャック・リヴェット映画祭と愛しのシャンタル・アケルマン映画祭が開催されていたから!こんな頻度で渋谷に行くことはもうないと思う。連日満席に近く、ちょっとおかしかった。リヴェットよりアケルマンのほうが女性客が多いけど、リヴェットも女性が観たら絶対に面白いと思う。シスターフッド的なエナジーが感じられる作品が多いから、元気が出る。リヴェットの映画はどれも遠くにあって心地よい。観るということだけができる。スクリーンの中で人が生きていて、我々は蚊帳の外というような感じ。キャラクターが魅力的すぎるからなのか。『セリーヌとジュリーは船で行く』は特に、衣装とロケーションが最高。彼女たちが叫んだり微笑み合う幸せ!観客は暗闇のなかで置いてけぼりなのがいい。『ノロワ』については、有休をめいっぱい使いたくて滝沢歌舞伎の前に観てしまったのが間違いだったけど、寝落ちしている人を起こすような、息を止めるような印象的なショットがあった。

アケルマンは傑作しかないらしい。主観ショットをほとんど排除したスクリーン上の彼女たちを見つめるうちにどうしても自分を見つめることになってしまい、"私には私にしかわからないことがある"という孤独がやってきて、恐ろしさとともにホッとする。『私、君、彼、彼女』のなかで、アケルマン演じる主人公が代名詞の人々に接近すればするほど彼女自身の内側に還ってくるという関係性が、スクリーンに映る、とても私的に思える主人公の視線を第三者としてしか見られない観客との距離に反映されている。これを見た職場のひとは、ラストシーンをプロレスと言っていたけど、確かにそんな感じ。ひとつになれないと分かっているもの同士の、真剣な取っ組み合いがロマンチック。試合後には静かに部屋に帰って行くのが象徴的で、さすがアケルマン!

『ジャンヌ・ディエルマン』撮影時、アケルマンは24歳(今の私とほぼ同い年)。本当に信じられない。日々粛々と多くの役割をこなし日銭を稼ぐ中年女性の日常は、異様に大きい生活音や印象的な沈黙と長回し(ちょっと記憶が曖昧)によって、ただの日常ではなく生き様であり、さらに言えばアケルマン自身の人生論として示される。時間の操作が本当にうまいなと思う。4時間ずっと「ああこれはただごとではないな」と思わせ続けられるのもすごい。

『アンナの出会い』は、カラダが物理的に運ばれていくような感覚があって不思議だった。どこから来てどこへ行くのか、何をしてどうなれば満たされるのか、わからないまま死ぬのだと思う。いずれ死ぬのだから、生きている間は常に移動し続けるしかないのかな。アンナをこの世に引き止めるものはなんだろう。母親との再会のシーンがとても感動的。アケルマンお得意の(だと勝手に思っている)横並びの食事シーンもあって嬉しい。横並びの方が同じ景色が見えて良いなというのは、『セリーヌとジュリーは船で行く』の2人を見ても思った。切り返す必要がないという利点もあるのかな。「ぼちぼち銀河」を聴くとなぜか、2人一緒に魔法の飴を舐めると、そこには無い同じ情景が目を開けた状態で見えるという描写が思い浮かぶ。

あとは『ユリイカ』を観に行ったり、試写でホン・サンスの新作2本を観たりした。今更ながら『気狂いピエロ』を観て、自認してる以上にゴダールの映画が好きだと知った。面白すぎる。ワクチン3回目接種の翌日、熱と悪寒でぼーっとしながら観た『ベニスに死す』もよかった。明らかに時間の流れが違った。最近はあんまり観れてないけど、やはり映画に感謝。

 

 

 

 

2022/4/1

ここ数日は、Awich出社柴田聡子退勤がいい感じ。それぞれの戦いかたがあってかっこいい。私の今の敵は間違いなく隣人‼︎‼︎女じゃなかったらこんなことにはなっていない気がしてムカついてムカついて、春だからなんとなく顔が赤くてエネルギーが怒りの方に向かっている。男だからという理由だけで、自分は何も悪くないのに(ここが重要)、毎日大損してもらわないと割に合わない。

怒りはポジティブエネルギーだから、今は調子が上がっているということかもしれない。ただ、2月3月と映画も観ず本も読まず、毎日YouTubeメイク動画ばっかりみているのは早くなんとかした方が良いと思う。そのおかげでメイクの楽しさに気づき始めたのも確か。みんなのおすすめコスメが知りたい。最近のお気に入りはコスノリのまつ毛美容液、ETVOSのミネラルアイバーム、RMKの新作のコンシーラー。本当にみんなのおすすめコスメを教えてください‼︎‼︎

本日休演の新譜「MOOD」を1回だけ通しで聴いて、あまりしっくりこなかったことによって、「ぼくら」(「わたしたち」でも可)的なものがいつのまにか全然理解できなくなっているとわかった。連帯と解散を繰り返しているだけだと思うから、「ぼくら」「わたしたち」という言葉が一時的なものを表しているに過ぎないとしても、最近の自分の口からは出てこないとワードだと思う。

お昼休憩に会社の近くの公園でサンドイッチを食べた。桜がちらちら舞って、おそろいの服を着たふたごの女の子がしゃぼん玉を吹いたりブランコに乗ったりして、隣のベンチでおそらく仕事休憩であろう女性がお弁当を食べていて、誰かの走馬灯みたいで、でも明らかに自分の走馬灯だった。子どものはしゃぐ姿に幸せを覚えるタイプではないのに、間違いなく自分の走馬灯に思えたのがめっちゃ謎だし怖い。先から見た今、という感覚に近い?

カラックスの来日は当たり前にチケットを逃して、今から5月のシャンタル・アケルマンが楽しみ!IDの"onakasuitasamui"は、アケルマンの"J'ai faim,j'ai froid."からとっています。ついにシネマテークフランセーズで手に入れたトートバッグを自慢するときが。